一九九〇年三月三十一日(土)、中央労基署から「葬祭料支給通知」が、普通ハガキで送られてきた。
こんなにも遺族が必死の思いで訴えつづけてきたことに対し、「葬祭料」、しかも普通ハガキで送るというずさんさ。
「これだけではわからない」と、もう一度労基署に赴くと、二週間後、「労災認定」の通知がわが家に届いたのである。
「あんなに働いたら倒れてしまう」。
そう思っても、防ぎきれなかった家族の死。
いままで残された家族は、過労死を、個人の死として諦めるしかなかった。
諦めきれずに労災申請しても、認定の壁はあまりにも厚い。
その壁を破るには一人ではあまりに弱すぎる。
同じような立場にいる人が集まり、力をひとつにして立ち上がってみよう。
遺族のやりきれない心をわかちあえる場を作ろう。
そして、辛くて負けそうになったとき、生きる意味を、方法を、確かめあおう。
この共通の思いが、一九九一年五月、「東京・過労死を考える家族の会」を結成した。
「生きることは権利なんだよ。
働くことも権利なんだよ」と言っていた夫。
敬虔なクリスチャンとして、いつもその糧を子どもにも私にも、そして会社にも、豊かに与え続けた夫。
子どもからも満点のパパと評され、尊敬されていた。
生きる活力だった彼を失った私は、突然死を量産してもなお回転しつづける現代社会に対し、警鐘を鳴らし、「労災補償を遺族に」と訴えつづけよう。
「ノウ・モア・カローシ」のために皆の力を結集しよう。
彼が教えてくれた、大きな愛の心を持ちながら、愛がこの世に生きる権利を再現させることを希って。
こういった闘いというのは一人ではなかなかできませんからね。頑張ってほしいと思います。