砂漠にフルーツを実らせた男
ブリガム・ヤング以外にも、ラスベガスの開拓期に大きく貢献した人物がいます。
そのひとりが鉄の意志を持つと言われたエドウィン・マッグリフという人物。
もともとユタ州の果樹園経営者でしたが、1890年に害虫の被害に遭い、すべてを失ってしまいます。
しかし彼はあきらめず、50歳という年齢にもかかわらず、1914年に家族とともにラスベガスに移住。
のちにマッグリフ・ランチとして知られる土地を借り受けて砂漠での果樹園作りに挑戦したのです。
ユタでは、桃、リンゴ、チェリー、プラム、アプリコットの木を合計2万7000本、ブドウの木を7万2000本も育て、「果実業の父」と呼ばれ尊敬されていた彼は、新天地ラスベガスで「果実業の父」として復活。
砂漠のなかに果樹園を築きあげました。
そして、6年目の1920年には逆境を克服し、果樹園を買い取り自分の所有地としました。
当時、ラスベガス・バレーでは、他州から持ち込んだ果実は暑さのためすぐに腐敗してしまうので、彼の果樹園には果物を買い求めるラスベガスの住民があとを絶たず訪れるようになりました。
のちに鉄道が開通したころは、ユニオン・パシフィックも彼の果樹園から果物を購入。
マッグリフは1938年に死亡、その後果樹園は幾人かの人手を経て、1940年には西部劇俳優で知られるロイ・ロジャーズが別荘地として購入、ウォームスプリングと名づけられました。
1952年ごろまでウォームスプリングの果樹園では果物がとれたということですが、現在では残念ながら荒れ果てた休耕地となっています。