本当の幸せとは? 3
夫は、外資系会社に籍を置いていたが、会社からの鑑定業務と、会社を通さないで直接カンラスあてに指名される仕事とがあった。
船に事故があれば、夜中でも休日でも、キャンセル待ちで飛行機に飛び乗る。
出張から深夜に帰宅しても、翌日は早朝から出社する。
夕刻出張から帰っても、会社に直行し、テレックスを入れたり、報告したりで、家に直行することはなかった。
度重なるハードスケジュールの出張と、その後の報告書作成に、傍らの私まで悲鳴をあげた十五年間だった。
それなのに会社は、年に二、三度も合理化を進めた。
会社は奴隷使い、「スレイプ・ドライバーだ」と言いながら、「マイッタナー」と夫は明るくおどけてみせた。
天性の明るさで、困難もジョークできり抜けてしまう、夫はそんな人だった。
フィリピン人で二十三年間航海士として船に乗りこみ、キャプテンの職を投げうって、東京で私達家族とともに生きる決心をしたのだ。
日本社会に外国人が働く厳しさを責任感で果たした。
一九八八年六月二十六日、日曜日。
会社の二人のマネージャーから三分おきに電話がかかった。
電話の対応をしていた中一の末娘が悲鳴をあげて私を呼んだ。
「ママ、会社の人が、パパはどこにいるって三分おきに電話だよ!」。
こんなことは後にも先にも初めてのことだった。
いわゆる、今はやりの国際結婚というやつだったのですね。