車の用語~☆ その4
○口ーリング、ピッチング、ヨーイング
クルマの持つ特性や、運転のしかた、路面の状態から起きるボディの動き(揺れ)をいう。
この揺れのなかで、コーナリングのさいに遠心力で外側にクルマが沈み込むをロール、ローリングなどと呼ぶ。
また上下動をピッチングというが、ブレーキングのときに生じるフロントの沈み込みは、ノーズダイブといいます。
ヨーイングとはホイールアライメントの狂いなどから生じる首振りで、いずれも、ボディの一点を支点にして揺れ動く。
○口ーリング、ピッチング、ヨーイング
クルマの持つ特性や、運転のしかた、路面の状態から起きるボディの動き(揺れ)をいう。
この揺れのなかで、コーナリングのさいに遠心力で外側にクルマが沈み込むをロール、ローリングなどと呼ぶ。
また上下動をピッチングというが、ブレーキングのときに生じるフロントの沈み込みは、ノーズダイブといいます。
ヨーイングとはホイールアライメントの狂いなどから生じる首振りで、いずれも、ボディの一点を支点にして揺れ動く。
○トレール
キャスター角が付いているキングピンを地面まで降ろしていくと、タイヤの中心より少し前で接地する。
この接地点とタイヤの中心位置との距離を「トレール」といい、ミリで表わす。
キャスターを大きくするほど、トレールも大きくなる。
トレールは大きくなるとステアリングが重くなる原因となる。
これは、ロワーアームのボールジョイントがタイヤの中心の真下にあるからです。
もし図のようにキングピン全体を後ろへ平行移動したら、キャスターは同じ角度のままトレール量を減らすことができる。
これをハイキャスターショートトレールといって、直進性を損なわず、不整地でもステアリングをとられず、操舵力も軽いサスペンションを作ることができる。
○トーイン
タイヤを上からみたとき、通常は少し前すぼまりになっています。
これを「トーイン」といい、タイヤの中心線の前後の差の距離で表わす。
なぜかここだけは角度では表わさない。
たぶんそのほうが測定がしやすいためだと思われます。
トーインをつけるとステアリングを切ってクルマが曲がり始めたとき、あらかじめ内側に切られている外側のタイヤがふんばり、曲がりやすくなります。
○等速ジョイント
一般にはユニバーサル・ジョイントと呼ばれ、ドライブシャフトの途中に取り付けられて、サスペンションの挙動の変化にともない、大きく曲がっても滑らかに回転するようになっています。
このジョイントの入力部と出力部の速度が異なり滑らかな回転が得にくくなるのを解消したのが、等速ジョイントといいます。
○ロードホールディング
ロードホールド、つまり大地を掴むという意味。
優れたサスペンションなどを表現するグリップカのよさをいう場合に使います。
ラスベガスのホテルは、その多くが大型ホテルであることが特徴ですが、もうひとつの特徴が高い稼働率と安い宿泊料です。
客室の稼働率は年間平均で88%(1995年)と、まさに驚異的。
世界的な観光地であるハワイのホノルルは都市別平均稼働率で2位ですが、80・6%(1995年)と8%近く水をあけられていることからも、ラスベガスの客室稼働水準の高さがわかります。
また、年間を通じて客室稼働が平準化の傾向にあり、オフシーズンと呼べる期間が事実上ないことも稼働率を高めている要因です。
一方、客室料金(宿泊料金)の安さも特筆もので、1位のニューヨークの半分以下、わずか54・47ドルです。
客室平均稼働率と平均客室料金の間に、相関関係はあるのでしょうか。
つまり、客室料金が安いから稼働率が高いのか、稼働率が高いから客室料金を安くできるのかといったことですが、これはラスベガスにかぎり意味のない議論です。
なぜなら、ラスベガスのホテルは、カジノ収益の上に成り立っているからです。
快適なアメニティ施設が完備されているにもかかわらず、低廉な客室料金は宿泊を促す道具でしかありません。
宿泊客のゲーミング予算は宿泊先のカジノでその大半が消費されるという事実にもとついての囲い込み策なのです。
客室料金(宿泊費)も例外ではなく、ゲーミングプレイヤi獲得のための道具のひとつにすぎません。
こうした利益構造のちがいを背景としているため、他の都市のホテルにはまねできない低い料金設定が可能となっているのです。
ラスベガスで最初に銀行を開いたのはジョン・パークという当時53歳の人物です。
ケンタッキーの実家が銀行を営んでいたこともあり、彼はラスベガスでの銀行設立を頼まれます。
最初は雑貨屋の一角を借りて、机ひとつで営業を開始したといいます。
1927年にはファースト・ステートバンクのオーナーとなり、周囲がまだテント村というなかで、唯一の2階建てのレンガ造りのビルを建築しました。
金融業で第一人者となった彼の活躍は目覚ましく、自分のビルを町の集会場として市民にも開放、オペラなどの上演も行われ広く親しまれました。
そのほかにも町の発展に尽力し、都市生活には欠くことのできない電力や電話の普及工事サービスまでも手がけるなど、ラスベガスの開発に重要な役割を果たしました。
また、ラスベガスにリゾートパークを作った人物もいます。
デービッド・ロレンジーは、1911年、ラスベガスの人口がようやく800人となったころ、保養のためにこの地を訪れ永住を決め、のちに農園業をはじめました。
開墾の途中で彼は樹齢500年のブドウの木を見つけ、多種のブドウの木を接ぎ木することによって、1本の幹から色とりどりのブドウを実らせました。
彼が見つけたブドウの木は、アメリカ最古のブドウの木と言われています。
10年後、彼は農園業を営むかたわら、ザ・オアシスという製菓会社の経営をはじめますが、同時に町の住民のためのリゾート・パーク建設を思い立ち、自分で見つけた温泉を利用したスパを建設しました。
その後も彼の夢は大きくふくらみ続け、パーク内に水鳥が棲む湖やピクニックができるエリアを作り、夜には外灯を灯して住民の憩いの場を提供。
さらに、レーストラックやロデオ場、水泳場、噴水とそのまわりにはダンス・ステージまで設けてリゾートパークの拡充を図り、ラスベガス住民の生活にはなくてはならない場所を創りあげました。
この場所が、現在のロレンジー・リゾート州立公園です。
20世紀初頭のラスベガス・バレーの定住人口は、わずか25人と記録されています。
しかし、ここで紹介したような人々の努力もあって、ネバダ南部がクラーク郡となった1909年には郡全体
の人口は3500人に、また、前述のように、1911年にはラスベガスの町の人口も800人に増えました。
荒野のなかのラスベガスは、徐々に田舎町としての体裁を整えていったのです。
ブリガム・ヤング以外にも、ラスベガスの開拓期に大きく貢献した人物がいます。
そのひとりが鉄の意志を持つと言われたエドウィン・マッグリフという人物。
もともとユタ州の果樹園経営者でしたが、1890年に害虫の被害に遭い、すべてを失ってしまいます。
しかし彼はあきらめず、50歳という年齢にもかかわらず、1914年に家族とともにラスベガスに移住。
のちにマッグリフ・ランチとして知られる土地を借り受けて砂漠での果樹園作りに挑戦したのです。
ユタでは、桃、リンゴ、チェリー、プラム、アプリコットの木を合計2万7000本、ブドウの木を7万2000本も育て、「果実業の父」と呼ばれ尊敬されていた彼は、新天地ラスベガスで「果実業の父」として復活。
砂漠のなかに果樹園を築きあげました。
そして、6年目の1920年には逆境を克服し、果樹園を買い取り自分の所有地としました。
当時、ラスベガス・バレーでは、他州から持ち込んだ果実は暑さのためすぐに腐敗してしまうので、彼の果樹園には果物を買い求めるラスベガスの住民があとを絶たず訪れるようになりました。
のちに鉄道が開通したころは、ユニオン・パシフィックも彼の果樹園から果物を購入。
マッグリフは1938年に死亡、その後果樹園は幾人かの人手を経て、1940年には西部劇俳優で知られるロイ・ロジャーズが別荘地として購入、ウォームスプリングと名づけられました。
1952年ごろまでウォームスプリングの果樹園では果物がとれたということですが、現在では残念ながら荒れ果てた休耕地となっています。
ラスベガスからの撤退後も、ヤングはネバダ南部の他地域へ開拓者たちを送っています。
1858年、ラスベガスにおける2年間の辛苦に満ちた開拓努力にもかかわらず撤退を余儀なくされた経験をもとに、今回はよく訓練され組織化されたグループを派遣しました。
現在のネバダの南部にあるパナカという町は、こうして誕生したものです。
ヤングは1864年、コロラド川流域に交通網を作るため、コールビルという町の建設を命じています。
コールビルはラスベガスからわずか50キロほど離れた地点にある町。
さらに彼は、その翌年から立て続けに、コロラド川と合流するバージン川、マディi川の交通網に沿って、セント・トーマス、セント・ジョセブ、そしてオバートン、ウエストポイントという新しい町を次々に築いていきました。
1848年にアメリカ合衆国に編入されたラスベガスは、1850年9月から1863年2月まで、ニュー・メキシコ・テリトリー内に一時的に帰属し、その後アリゾナ・テリトリー誕生とともにアリゾナに属するようになります。
アリゾナ・テリトリーの北西地域は「パイウテ・カウンティ」と呼ばれ、現在のクラーク・カウンティをはじめ、リンカーンとナイ・カウンティも含まれていました。
パイウテ・カウンティはユタ・テリトリーとアリゾナ・テリトリーの両方から統治されていたようなところがありましたが、インディアンからの被害などに理解を示していた両方のテリトリーから、同情的かつ保護的に扱われていました。
また、政治的配慮のもとに、1860年代のなかばには、ラスベガスはアリゾナ・テリトリーの首都候補にあげられたことがあり、もし実現していたら、今のラスベガスの様相はかなり異なっていたかもしれません。
1867年、合衆国連邦政府は、ネバダ地域をアリゾナ・テリトリーから独立したネバダ州として正式に承認します。
しかし、連邦政府は測量によりネバダの行政区域を確認すると、高額な納税義務をモルモン移住者に通達したのです。
この行政判断に怒ったモルモン教徒たちは、大挙してユタ州へと引き上げてしまいました。
これが原因となって、その後十数年にわたって、パイウテ・カウンティ(現ネバダ州南部)の発展は完全に止まってしまったのです。
腎臓病のタンパク制限が必要な方へのメニューです。
もう1品足してみては、どうでしょうか?(^^)

これは、普通のご飯に比べて、タンパク質を5分の1に抑えてあります!
10分の1もありますよ。
国産米100%で丁寧に炊き上げられています♪

湯で麺100g当たり、タンパク質は0.9g以下です!
調理方法も普通のおそばと同じなので、手軽におそばが食べられますよ♪
その他に、そうめんとうどんがあります。
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